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のべおかがくえんこうとうがっこう

延岡学園高等学校

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延岡学園高等学校出身の有名スポーツ選手

松田 丈志選手 プロフィール

松田 丈志さん

元競泳日本代表選手
北京、ロンドン、リオデジャネイロオリンピック・メダリスト

PROFILE

1984年6月23日生まれ。宮崎県延岡市出身。セガサミー所属。4歳から水泳を始め、元競泳選手の久世由美子コーチの指導を受ける。延岡学園高等学校を経て中京大学に進学。その後は2004年のアテネオリンピックをはじめ数々の国際競技会で日本代表として出場、世界選手権やアジア大会でも実績を残した。卒業後、2008年の日本選手権優勝を果たし2度目の北京オリンピックに出場。200mバタフライで日本記録・アジア記録を更新し銅メダルを獲得した。その後も2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロと4大会連続でオリンピック出場の偉業を果たし、ロンドンでは400mメドレーリレーで銀、200mバタフライで銅、リオでは800mフリーリレーで銅とオリンピックで4つのメダルを獲得した。2016年、オリンピック後の国体をもって現役を引退。現在はスポーツ解説など幅広く活躍している。

松田 丈志さんの学生時代は・・・

14歳の少女が勝ち取った金メダルに、すごく興奮した

松田 丈志さん写真
 僕が水泳を始めたのは4歳の時。9歳上の姉が通っていた東海スイミングクラブについて行ったのが始まりでした。小さい頃からわんぱくで負けず嫌いだったのですが、とにかく元気な子供で水の中が大好きでした。クラブでは友達や先輩も増えていくし、水泳では少しずついろんなことができるようになる楽しさを感じていました。当時は地元に本格的なスイミングクラブがなくて、僕が通っていた東海スイミングクラブも東海中学校のプールを使っていました。でも、プールの屋根がビニールハウスだったことは後々話題になりましたけど(笑)。そんな最高とは言えないかもしれない練習環境でしたが、大学に進学するまでの長い時間を過ごした大事な場所でした。そして何より競泳人生を共に歩んできた久世コーチと出会ったのも東海スイミングクラブでした。
 僕がこれほど水泳に夢中になれたのは、ひとつには小学校時代にテレビで見た、バルセロナオリンピックの岩崎恭子選手の存在がありました。自分とそんなに離れていない14歳の女の子が勝ち獲った金メダルに、すごく興奮しました。また東海スイミングクラブ出身で同じ久世コーチの指導を受けた先輩も出場していたので、自分も頑張ったら行けるかもしれないと考えたのです。それ以来、僕にはオリンピックが大きな目標になりました。その後、東海中学から延岡東高校に進学したのですが、勉強に忙しい学校だったこともあり、もっと水泳に集中できる延岡学園に転校しました。ここはスポーツクラスもある学校で部活(水泳)に力を入れることができる環境でした。そして高校1年生の時にオリンピックをすごく身近に感じた出来事がありました。シドニーオリンピック選考会もかねた日本選手権。1500m自由形で3位になりましたが、7秒差で2位の選手が日本代表になり、もう少し頑張れていたらシドニーに行けたのではという悔しさを実感することになりました。そしてその思いは、その後の僕のモチベーションにもなっていきました。

大学進学、そして夢のオリンピック日本代表へ・・・

メダルを獲れなかった悔しさが、北京への原動力になった

松田 丈志さん写真
 中京大学2年の2004年、念願のアテネオリンピックの代表選手に選ばれました。僕にとってオリンピックが全てで、そこを目指して水泳をやってきたと言っても過言ではありません。やはり選手にとってオリンピックは格別で、世界中の人が燃える素晴らしい大会です。だから出場が決まった時はすごく嬉しかったですね。でもメダルを獲ることはできませんでした。その時味わったのは、メダリストとそうでない選手の差です。オリンピック前にどんなに注目されていても、オリンピックでメダルを取らないと周りからの扱いは全然違います。あの悔しさと惨めさは、その後の4年間忘れることなく、次の北京への原動力になったことは確かです。
 そして2008年の北京オリンピック。アテネの悔しさがあったからこそ自分には何が足りなかったのかもしっかりと向き合えたし、メダルという明確な目標をたてて練習に打ち込むことができたと思います。結果は200mバタフライで銅メダル。そして2012年のロンドンでは同じく200mバタフライで銅、400mメドレーリレーでは銀を獲ることができました。実はロンドンでコメントした「北島康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない」には、アテネで味わった惨めな思いを尊敬する北島選手にはさせられないという強い気持ちがあったからです。
 また、ロンドンの後には大きな決断もありました。それは悩みに悩んだ末、4年後のリオデジャネイロオリンピックに再び挑戦することを決めた事です。オリンピックの金メダルが欲しいという思い。そしてもう一度、あのオリンピックの舞台に立ちたい、喜びをもう一度味わいたいという思いもありました。それは、自分にとっても結果が出せれば嬉しいのですが、今までいろんな人に支えられて競技を続けてきて最後にもう一度喜んでもらいたいという気持ちも強かったからです。確かに年齢的にも体力的にも、これまでより更にキツくなることは分かっていました。でも挑戦したかった。そして800mフリーリレーで獲得した銅メダルは、決して一人では手にすることのできなかった貴重なメダルでした。

松田 丈志さんからのワンポイントアドバイス

早い段階での体作りが、運動能力の向上につながった

松田 丈志さん写真
 水泳は記録が明確で、自分の今の能力がはっきりと出るスポーツだと思います。そのあたりは球技や団体スポーツと違ってはっきりとしていますよね。だから自分の頑張り次第で結果や記録がついてくる。そこが水泳の好きなところです。でも結果を出すためにはやはり練習が一番です。ちなみに中学・高校時代の練習内容は・・・
(1)陸上トレーニング・・・中学時代は冬にプールで泳げなかったので、陸上トレーニングをしていました。例えば走ることは体作りと持久力の強化にもなります。また腕立て伏せ、腹筋、背筋、ジャンプといったサーキットトレーニングは筋肉も作ってくれます。僕の場合、中学時代に陸上トレーニングをしっかりやっていたことで、運動能力も上がり基礎体力も身につけられたと思います。
(2)泳ぐ・・・中学時代は自由形と長距離をやっていましたが、高校に入ってバタフライもやるようになりました。特にバタフライはキツい種目なので、とにかく泳ぐことが一番の練習であり、上達への近道です。そしてバタフライはタイミングが大事な泳ぎなので、ドリル練習をしっかりとやりながら、自分に一番いい手と足のタイミングを見つけるようにしてください。ちなみに高校時代は朝1時間半、そして放課後に2時間半。毎日プールで泳いでいました。特に練習のポイントは、自由形は足を止めずにキックを打ち続けること。そのためには足を鍛えるランニングやスクワット、水の中での壁キックは有効的だと思います。
 練習内容は大きくこの2つに絞られると思います。ただ、自主練的では腕と背中を鍛えるためにチューブ引きなんかもしました。練習は体力や技術を高めることが一番の目的ですが、練習を積んできたという自信も大きなプラスになると僕は思います。また、いろんな種目を泳いでみる、水泳以外のスポーツのやってみることも身体能力を高めるにはいいと思いますよ。

松田 丈志さんからみんなへメッセージ

チャレンジしたからこそ得られる成功と失敗、そしてやりがい

松田 丈志さん写真
 リオを終えて、メダルは獲れたけれど自分のベストな泳ぎはできなかったという思いはありました。ここが引き際かなと改めて思い、やりきった感があったので昨年、引退を決めて先に進むことにしました。現役時代からコーチに「選手である前に人として、引退した後も社会で通じる、貢献できる人になるように」と言われてきました。そういったことを、しっかりと教えてくださったことに今は感謝しています。
 今後の目標は、水泳に限らずにスポーツの面白さや素晴らしさを伝えていきたい。もうひとつは、今までの経験、学んだことを様々な形で次の人達に伝えていくことも大事な役割だと思っています。僕の場合、国内から国外へ大会の舞台が大きくなるほど、たくさんの方々の応援をいただきました。そんな皆さんとのコミュニケーションから学ぶことも多かった。私がオリンピックを経験して感じたのは、結果を出す選手は「周りから応援される選手、そしてその応援を自分のチカラに変えられる選手」という事です。
 僕は4歳で水泳に出会い、学生時代を常にチャレンジし続けてこられたことはすごく恵まれていたと思います。もちろん失敗も成功もありましたが、それ以上に大きなやりがいがありました。皆さんも学生時代にいろんなことにチャレンジしてみてください。きっと最高の「やりがい」を見つけることができると思います。

※プロフィール等は2017年5月時点のものです。

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株式会社JSコーポレーション 代表取締役社長 米田英一