聖ウルスラ学院英智高等学校(宮城県)の進学情報 | 高校選びならJS日本の学校

せいうるすらがくいんえいちこうとうがっこう

聖ウルスラ学院英智高等学校

(高等学校 /私立 /共学 /宮城県仙台市若林区) >>お気に入りに追加する

パンフをもらおう

※ 資料・送料とも無料

聖ウルスラ学院英智高等学校出身の有名スポーツ選手

松友 美佐紀選手 プロフィール

松友 美佐紀選手

バドミントン選手
リオデジャネイロオリンピック女子ダブルス・金メダリスト

PROFILE

1992年2月28日生まれ。徳島県板野郡藍住町出身。5歳でバドミントンを始め、小学生の時から、全国タイトルを全制覇するなど輝かしい成績を収める。中学3年生の時には、地元で開催された全国中学校体育大会で団体・シングル共に優勝した。高校は地元を離れ、バドミントン強豪校・聖ウルスラ学院英智高校に進学。1年先輩である髙橋礼華選手とダブルスを組み、2年次に出場したインターハイでは、団体・シングルス・ダブルス3冠を達成したことも。2010年の高校卒業と同時に、日本ユニシス(現・BIPROGY)へ所属し、日本代表に選出される。髙橋選手と「タカマツ」ペアとして世界に挑み、2014年に世界ランク1位に到達。2016年のリオデジャネイロオリンピックでは、日本バドミントン界で初の金メダルを獲得した。その後も数ある国際大会を制する中で、2020年の髙橋選手引退に伴い、ペアを解消。現在は混合ダブルスに活躍の場を移し、2024年パリオリンピックを目指して日々練習に励んでいる。

松友 美佐紀選手の学生時代は・・・

「強くなりたい」。その一心で全力を尽くし、小中高で全国制覇

松友 美佐紀選手写真
 私がバドミントンを始めたのは、5歳の時。母が趣味でバドミントンをやっていて、その練習についていき、姉と一緒に遊んでいたのがバドミントンとの出会いです。他にも水泳や器械体操など、さまざまなスポーツを習っていたのですが、「できないものができるようになる」という感覚を一番覚えたのがバドミントンでした。シャトルがラケットに初めて当たったときの嬉しさや、上達していく楽しさがあり、そこからバドミントンにのめり込んでいきました。小学生で地元のスポーツ少年団に所属してからは、本格的にバドミントンの練習を開始。クラブのみなさんの支えもあって、全国大会に出場し、優勝することができました。
 中学は、地元の徳島中学校に進学。県外からのお誘いもあったのですが、地元に残った大きな理由は、3年生になる年に徳島で全国中学校体育大会が開催されることでした。その大会を目標に日々練習をしていたのですが、もちろん部活動ですので、他の部活との兼ね合いで体育館が使えない日も多かったんです。体育館が使えない日は、外でトレーニングをしたり、部活終了後に社会人の方が練習している中に混ぜてもらったり……。限られた時間の中で、みんな一生懸命取り組んでいたなと思います。その甲斐もあり、全国中学校体育大会では、団体戦・シングルスどちらも優勝できたのは本当に嬉しかったですね。お世話になった人たちの前で試合を行い、優勝という形で恩返しできたことは中学一番の思い出です。
 高校は、もっと強くなりたいという想いを胸に、地元を離れて宮城県のバドミントン強豪校・聖ウルスラ学院英智高校に進学。そこで1学年上の髙橋礼華先輩とダブルスを組むことになりました。シングルスをメインでプレーしてきた私にとって「どうなるんだろう」という想いはありましたが、楽しみの方が大きかったですね。一番印象に残っているのは、私が2年生の時に出場したインターハイです。直前の練習で髙橋先輩が足を怪我してしまい、団体戦のダブルスは他の選手とペアで出場しました。個人戦のダブルスも出場が難しいだろうと言われていたのですが、先輩にとっては最後のインターハイ。どうしても出場したいという先輩の想いを汲んで2人で試合に挑み、結果、団体戦、個人のダブルス、シングルスで優勝を勝ち取り3冠を達成することができました。先輩やコーチたちの支えもあり、最後まで諦めず試合ができたことは思い出に残っています。

オリンピックでつかんだ、日本バドミントン界初の金メダル

練習で培ったものを出し切れば、おのずと結果はついてくる

松友 美佐紀選手写真
 高校卒業後は、髙橋先輩も所属していた日本ユニシス(現・BIPROGY)に所属。バドミントン強豪国である中国に練習に行ったり、中国の選手をコーチに招いてくれたりと、自分の成長につながる環境に惹かれて進路を決めました。
 社会人になって衝撃的だったのは、初めて出場した2012年の全英オープン。北京オリンピックで金メダルを取った中国の選手と1回戦で対戦することがあったのですが、大人と子供ぐらいの実力差を感じ、悔しかったのを覚えています。しかし、どうしたらあんなふうに強くなれるんだろう、あの人たちと互角に戦うためにはどうすればいいんだろうと、改めて考える良いきっかけにもなりましたね。子供のころから「強くなりたい」という想いを持ってやってきましたが、さらに世界のトップ選手と渡り合い、勝つことのできる選手になりたいと強く思うようになりました。
 2016年の全英オープンでは、1回戦から決勝戦まですべての試合で、中国はもちろん各国のトップ選手と対戦することに。1回のトーナメントで、こんな組み合わせはもう経験できないだろうと思うほどでした。そんな中、優勝し、実力を発揮することができたのは本当に嬉しかったですね。
 そして、髙橋先輩と挑んだ2016年のリオデジャネイロオリンピック。金メダルを取りたいという想いはもちろんありましたが、そこがゴールだとは思ってはいませんでした。それよりも、誰よりも練習をした成果や、これまでの一試合一試合で自分が得てきた知識や経験を出し切りたいという想いが強かったんです。これまでの努力や積み重ねがあったからこそ、日本バドミントン界史上初となる金メダルを獲得することができたのだと思っています。

松友 美佐紀選手からのワンポイントアドバイス

大切なのは、何事にも諦めず取り組む心

松友 美佐紀選手写真
(1)瞬発力を鍛えるラダートレーニング…高校時代の自主トレーニングで特に力を入れていたのは、ラダートレーニングです。さまざまな種類の細かいステップを踏み、瞬発力と俊敏性を鍛えていました。ラケットを使う練習ももちろんしていましたが、道具のいらないラダートレーニングや走り込みは、気が済むまで行っていたと思います。

(2)「諦めない」ことを当たり前にする…練習をする上で私がなによりも大切にしていたのは、「諦めない」ということです。これは私の強みでもあると思います。
 私は、中学3年生の時に中国のジュニア代表の練習に1ヶ月半参加したことがあります。これが初めての海外選手との交流だったのですが、実際に一緒に練習してみると「同年代なのにこんなに歯が立たないのか!」と感じました。さらに、中国の選手に比べたら体も小さかったので、怪我をさせたら危ない、と最初は練習にも入れてもらえず悔しかったのを覚えています。ですが、毎日自分にできることを試行錯誤しながら練習に取り組み、帰る頃には中国の選手と互角に戦えるまでになりました。厳しい環境の中でも、諦めることなく取り組み続けたことで成長することができたと実感しています。
 もちろん、練習がきついな、休みたいな、と思うこともありました。しかし、私はそこで「今日はもういいや」と諦めてしまうことは絶対にありませんでした。試合で負けたり、苦しい場面に立ったりした時も同じですね。自分の中でそれは当たり前なのですが、そうした強い気持ちを持って練習や試合に向き合うことは、簡単なようでかなり難しいことだと思うんです。だからこそ、日々できることに向き合い、きちんと取り組んでいく。その積み重ねを大切にすることで、みなさんにも「諦めない」という強みを身につけてほしいと思います。

松友 美佐紀選手からみんなへメッセージ

自分で選んだことを最後までやり切れば、道は開く

松友 美佐紀選手写真
 どんなことも、やる理由を探すよりやらない理由を探したり、人のせいにしたりすることの方が簡単です。自分で目標を立てて何かをやると決めた以上は全ての責任は自分にあります。最後までやり切るのも自分です。そういう気持ちでやっていれば自然と周りの人が助けてくれたりもするし、そういう好循環が人としても選手としてもすごく成長していけるきっかけになると思います。何事も諦めず、最後までやり切るという気持ちで取り組んでいければ、道は開けてくると思います。
 私は現在、混合ダブルスという新たな道に挑んでいます。混合ダブルスは、男子選手がいることで、女子同士よりもシャトルを打ち込む速度や、パワーが強く、これまでとは異なる世界です。そんな中でもこの道を選んだのは、自分の「もっと強くなりたい」、「もっと知らない世界のプレーを経験したい」という強い想いがあったからこそ。これからも日々新しい知識を取り入れ、試行錯誤しながらも諦めずに練習に励んで行きたいと思います。

※掲載内容は2022年12月の取材時のものです。

所在地/問い合わせ先

所在地
〒984-0828 宮城県 仙台市若林区一本杉町1-2
TEL.022-286-3557 
FAX.022-286-7279 
ホームページ
https://www.st-ursula.ac.jp/high/

制服写真uniform photo

スマホで見るsmartphone

スマホで聖ウルスラ学院英智高等学校の情報をチェック!

聖ウルスラ学院英智高等学校の資料をもらおう

パンフをもらおう

※資料・送料とも無料

株式会社JSコーポレーション 代表取締役社長 米田英一